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東の高天原(20) 西の高天原(13)磐田原台地(11) 国分寺(6) 歴史各論 [高天原]

故此後所生五柱子之中。天菩比命之子。建比良鳥命【此出雲國造。无邪志國造、上菟上國造、下菟上國造、伊自牟國造、津嶋縣直。遠江國造等之祖也】次天津日子根命者【凡川内國造、額田部湯坐連、<茨>木國造、倭田中直、山代國造、馬來田國造、道尻岐閇國造、周芳國造、倭淹知造、高市縣主、蒲生稻寸、三技部造等之祖也】

 古事記の天の安の河の誓約 の部分は、お解かりになりましたか、私は未だに理解困難です。

 この部分に書かれた国造は、すべて中国人ですから、注意してくださいよと、太安万侶が知らせるために、書いたという発想は、私の物ではありません。田村誠一氏が考えられたことです。田村氏は、日本書紀を書いた人は、712年に完成した古事記を見て、自分たちの先祖の歴史を書こうとしたと考えられました。
 こんな話をする人は、今ではのけ者にされます。少なくとも、歴史の世界にはおれないと思います。

 速須佐之男命、天照大御神の左の御角髪に纏かせる八尺の勾聰(耳の部分が王)の五百箇の御統の珠を乞ひ度して、瓊音ももゆらに、天の真名井に振り滌(スス)ぎて、さ噛みに噛みて、吹き棄つる気吹のさ霧成れる神の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。

始めの部分も判りませんが、どうにか解らないでもないので、飛ばします。
<天の真名井に振り滌(スス)ぎて、さ噛みに噛みて、吹き棄つる気吹のさ霧成れる神の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命>  この部分は、どの様に、想像を膨らませても、意味が解りません。八尺の勾玉の五百箇の御統の珠とは、どのような物でしょう。私の知っている勾玉では、重くて頭に付けて居れないと思うのですが、「纏」とありますから、びっしりと付けて飾っているのでしょう。「振り滌(スス)ぎて」とは、何度も、振りながら、洗ったようです。そして、口に入れ、「さ噛みに噛みて」とありますから、何度も噛んだのでしょう。粉々になった勾玉を勢いよく噴き出したところ、霧の様に散った。その霧から、神が誕生しました。

 このようなストーリは、日本人に発想出来ないでしょう。ヨーロッパには、是に似た神話があるとか、東南アジアにあるから、速須佐之男命も天照大御神も、東南アジアからやってきたのだろう。そんな論文が有るかもしれません。が、調べていません。

 これは、世界中にいくらでもある神話ではないと思います。太安万侶が真剣に考えた、天皇家の歴史を無きものにしようとする者への警告だと思います。回りくどい言い方になりましたが、天皇家の歴史として、是非とも残し伝えたいと考えたのだと思います。

 スサノオとアマテラスの掛け合いの話は、紀元前150年ころの話です。その後に続く国造の事は、645年以前の事です。
 日本書紀を作った藤原不比等は、当時者ですから、直ぐにピンときた筈でしたが、意味は解らないし、、そのまま、書き残しても、害はないと考えたのでしょうか。自分たちの国造の歴史でもありますから、わざわざ残したのかも知れません。

このことに関しては、意味が解らないままに、何回か書きました。
 
 読み返していませんが、今と違うことを書いているかもしれませんが、どのように、理解しようとしていたかを見て頂ければと思います。

遠近国造に関して
古事記原文--天の安の河の誓約
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page285.html
天の安の河の誓約
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page284.html

古事記が書いて置きたかった事
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page308.html

出雲の国造は漢人
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page1191.html

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