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卑弥呼隠匿が目的だった日本書紀   11  -43- [真説 建国史]

日本書紀では干支は即位元年にだけ、付記の形で記入されている。この外に全巻を通じて神功皇后紀39年に己未と記入してあった。これこそ何かの秘密が隠されていると考えてよい。
この年に卑弥呼が魏に遣使したと書かれていたのである。神功皇后紀は三韓征伐に行かれ敦賀から帰還したのに、邪馬台国が何所にあったか、卑弥呼の遣使すら知らないと、とぼけていたのである。卑弥呼が遣使した239年も己未の年である。神功皇后紀39年を239年と仮定して15代応神天皇から21代雄略天皇まで実質4代である。(3兄弟が天皇は1代として勘定)紀では応神天皇は神功皇后紀元年生れだから、雄略天皇まで平均55才の時皇太子を出生されたことになる。これこそ矛盾で神功皇后紀39年を120年ずらして359年とすれば平均25才となり常識てきだった。
 干支を120年シフトしても一般にある古文書の年代には全く抵触する箇所がみつからないのである。60年単位で年代を誤魔化す偽証工作の謎が解けた。



私からの一言----このページの計算がよく理解出来ません。
次の部分が判りません。
〔雄略天皇まで平均55才の時皇太子を出生されたことになる。これこそ矛盾で神功皇后紀39年を120年ずらして359年とすれば平均25才となり常識てきだった〕

しかし、天皇の年令が、常識的におかしいのは、誰が考えてもおかしいですが、おかしいと本に書いた人は、誰もおられないというのもおかしい話です。

 どこがおかしいかと云いますと、日本書紀を元にして計算していますから、日本書紀がおかしいことは確かの様です。

考える為のヒント
己未(つちのとひつじ、きび)---- 西暦年を60で割って59が余る年が己未の年となる。

15-応神天皇---16-仁徳天皇---17-履中天皇---18-反正天皇---19-允恭天皇---20-安康天皇---21-雄略天皇

応神天皇(200~310)‐--三韓征伐の時に応神天皇を妊娠中。
雄略天皇(418~479)
神功皇后(201~269)? --皇后の在籍期間------14-仲哀天皇の皇后

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