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古事記神代の神、伯耆に全員登場   31  -63- [真説 建国史]

 古事記の神代の神は実在か偶像かは前後の関係から分る。この実像の全部の神が伯耆と因幡に残らず祀られていたことは、稗田の阿礼がこれらの神社を全て調査したとしか考え様がない事実である。
 日本書紀には古事記よりも登場する神が少ない。例えば、建御名方神、久延毘古(クエビコ)、スセリ姫、八上比売(やがみひめ)達で、これらもふさわしい所に全て祀られていた。
 これも古事記が公開されたのが13世紀以降だとすると、これらの神を祀った神社は二千年以上昔からあったと考える外ない証拠だ。
 古事記には各所に地形の描写があり、これは全て訪れて確かめてみた。又地名は最近の星ヶ丘や百合ケ丘式に土地と全く無関係につけたものではなくて、地形や人物等他人に分らせる目的で名付けられていた。
 更にこれらの地名は大和等に襲名されたものが大変多かった。例えば伯耆には祇園、諏訪、春日、大和等の地名がある。この地名だけで誰がおったか、何が起きたかまで想像出来てしかも、これに対する証拠が得られた。


私からコメント
今回のページの意味はお解りですか。
きっと、お解りになられないと思います。この文章は、私も田村誠一氏の著述に接してから、長いことなりますが、
「古事記の神代の神は実在か偶像かは前後の関係から分る。この実像の全部の神が伯耆と因幡に残らず祀られていたことは、稗田の阿礼がこれらの神社を全て調査したとしか考え様がない事実である」は

その通りだなと思い返しています。

前回の「稗田阿礼が現地で取材   30  -62-」の内容も同様の事です。

何処が同様かと言いますと、現在読んでいる 『真説 建国史』は、1984/04/29に 18冊目の本として、発刊されたのに、誰かが葬り去ろうとしたために、一冊もなく、誰も読むことは出来なくなっています。

「日本書紀には古事記よりも登場する神が少ない。例えば、建御名方神、久延毘古(クエビコ)、スセリ姫、八上比売(やがみひめ)達で、これらもふさわしい所に全て祀られていた」ということは、田村氏は、八上比売が祀られている所まで、行かれたことになります。

田村氏は、他の本で、そのように書いておられましたので、私も行ってきました。

例えば、大国主神は、まだ、大国主神と云われなかった時に、八上比売に結婚を申し込むために、沢山の兄弟と見合いに出かけました。千代川の上流にある賣沼神社まで、出かけました。

鳥取県鳥取市河原町曳田字上土居169にあります。

この時、大国主は何処に住んでいたかと言いますと、鳥取県の南部町の大国村倭に居ました。 だから、日本は「倭」と呼ばれ、その後、大国主神と呼ばれるようになりました。

このストーリは、古事記に書いてあります。 「いなばの白兎」と言われるお話です。 

大国村倭から賣沼神社まで、車で走ってきました。 大阪から、南部町~鳥取市河原町曳田~大阪。僅か一泊で行ってきました。 走っただけではありません。 途中にあった古事記に出てくる土地(地名)から神社のすべてを、見てきました。
 
 でも、見たことから、「古事記の神代の神は実在か偶像かは前後の関係から分る。この実像の全部の神が伯耆と因幡に残らず祀られていたことは、稗田の阿礼がこれらの神社を全て調査したとしか考え様がない事実である」を読んで、この通りだなと思っています。 

 このような事は、いくら、歴史の本をよんでも、解からない事です。

田村誠一氏の著書 http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page600.html 
ここに掲載しました本は、殆ど、手に入れることは出来ません。 古事記を処分しようとした人がいたと同様に、田村氏が書かれた本も、殆ど、処分されたと思っています。

歴史は、歩くことによって、本当の歴史が発見できると思います。

『真説 建国史』を続けて読んで頂ければと思います。 






何が同様同ど八日と言いますと、
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