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騎馬民族、中山王国より民族移動   32  -64- [真説 建国史]

 古代史を解くには先ず銅鐸の謎を解くことが必要である。これは漢の銅鏡より古くからあった巨大な青銅器である。これを日本に持ちこんだのが中山王国の亡命者だった。
 中山王国は四国位の大きさでもともと史書に残っただけの国だった。この国の王墓が偶然に1971年に発見され、最近なって発掘された。
 この王墓の出土品19000点の中の一部が昭和56年に日本で半年にわたって公開された。この国は、紀元前7世紀からあって秦の始皇帝が建国した紀元前221年より75年昔に滅ぼされた。
 この国は騎馬民族で白狄人と呼ばれ漢字も干支も中国と同じである。この国の出土品は現代人の感覚では想像を絶するものばかりであった。しかも少くとも戦前の技術水準では作り様がない青銅器、鉄器、黒陶器や玉の加工技術を持っていた。四頭立の王の馬車の装飾は純金だったし、王の愛犬二頭もそのまま出品され、金と銀の首輪をしていた。ローソク用燭台は素晴らしい芸術品だった。


私からのコメント
昭和56年に日本で半年にわたって公開された『中山王国文物展』の時に、発行された冊子があります。この展覧会で展示された遺物の一部が、紹介されています。是非、今日中に、図書館でご覧下さい。

本当は、中国の行って、実物を見られるのが一番です。
この不思議な国=「中山王国」を解明されたのは、田村誠一氏だけだと思います。 中国の歴史家が何人かかっても、解明できない歴史です。


図書館で、見られて感動された方は、直ぐに、購入してください。 私は、何度も見ましたので、本はバラバラなりましたから、二冊購入しました。勿論、古書です。

 上に書いてあることを理解できる方は、感動されるでしょう。

10000円だしても惜しくないものです。 興味のない方は、購入しないでください。出来れば、図書館の方が購入されて、出来るだけ多くの人に、見て頂ければと思います。

これで、日本に、銅鐸が一杯ある理由は、素人でも判ると思います。

次の所に、田村誠一氏の記事を転載しています。 8回ほど続きます。
第17話 古事記が解いた古代史  中山王国と銅鐸(1)
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/11/171-47f0.html



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