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イザナギ命は白狄人の王、白王   33  -65- [真説 建国史]

 青森県八戸市の民族資料博物館の是川コレクションは古代史に興味ある方は是非ご覧になることをお奨めしたい。ここには紀元前7世紀から紀元前4世紀の出土品が数千点収めてある。この中には漆器があり、これは中山王国にもあった。中山王国と同じ黒陶器も出土している。又注口陶器も数が知れない位積重ねてあった。これらは土器やら須惠器よりも高度の技術が必要である。
 中山大国文物展には銅鐸が14ヶ音階順に並べてあった。これは7音階の倍の特定の数でしかも祭の楽器だった。
 イザナギ命はヒルゼン高天原から近江八幡市の多賀に移られた。この地名は古事記に書かれていた。この多賀は当時島だった長命寺にあって、宮内、白王、王ヶ浜の地名が密接してあったのである。白狄人だから白王と称していた。又宮内の地名は神武天皇の御所があった宮内と同じである。
 古事記の解説では近江の多賀は多賀大社を指していたが、近江八幡の多賀こそは西日本を支配するには立地条件がすぐれていた。


私からのコメント
ここに出てくる地名の所は、直ぐにでも行ってください。自分の身体で、確認してください。どうして、多賀大社でなくて、近江八幡の多賀なのか、ご自分で考えてください。
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