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製鉄と製銅技術を伝えた金山彦命   37  -69- [真説 建国史]

 スサノオ命が高天原で乱暴をするので天照大御神は天の石屋戸に避難した。この時天津麻羅を呼寄せて、天の金山の鉄を取って来て鍛えて鏡を作った。倭人の鏡は銅ではなくて鉄で作ったのである。天の金山とは蒜山の南の湯原町の鉄山のことで、この近くの見明戸(みあけど)に金山彦命を祀った八幡神社があった。金山彦命と天津麻羅は同一人物と考えられる。
 鉄を鍛える技術を持った人の天津麻羅は中山王国の天津の文字を頭につけたのである。
 ニニギ命が高千穂に降りる時の護衛に天津久米命があった。この方も中山王国系と考えてよい。日本には紀元前2世紀には中山王国の製銅器、鉄器を作る技術が導入されていたことになる。
 美作の一宮は津山にあって中山神社で祭神は金山彦命である。大山の北麓には中山村がある。中山王国の発掘が始まる前に中山の地名が使われていた。
 白狄人とは知らなかった時代にイザナギ命は白王と呼ばれていた。地名と神社は古代史を解くのに役立ってくれる。


私からのコメント
中山神社(なかやまじんじゃ)は、岡山県津山市一宮にある神社。式内社(名神大社)、美作国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。社名は現在「なかやま」と読むが、かつては「ちゅうぜん」「ちゅうざん」と音読みしていた。
 (ウィキペデイアより)

下手なコメントは書きたくありません。 行かれた事がない方は、一度、お参りされてはと思います。 そして、この文章をもう一度読んで下さい。

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