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たたら式より進んでいた砂鉄製鉄   38  -70- [真説 建国史]

最近丹後半島の峰山町で鉄を鍛造した時のかすが見付かった。これは紀元前1世紀の遺跡でしかも、他の鉄のかすは中国臭がするのに、ここのは日本の砂鉄を鍛造した時のかすだったことが判明した。
 東京工大の製鉄史研究会から〝古代日本の鉄と社会〟と称する技術図書が出版されている。筑波山の西の尾崎製鉄遺構から製鉄用木炭まで出土した。この木炭のカーボン14で年代測定した所紀元前170年のデータが得られたのである。天の岩屋戸事件と全く同じ時期だった。この年代に銅鐸があった以上鉄器などある筈がないとの意見こそ矛盾している。しかし製鉄史研究会はカーボン14のデータになんの検討も加えないで否定した。
 ここの遺跡から出た土器の文様による主観に基く年代が8~9世紀と断定した。ここでも年代を主観で千年も狂わせたのである。登呂の遺跡では650年も年代が狂っていても歴史教科書は改めようともしないで、日本人は弥生後期には原始的生活を営んでいたと洗脳を続けている現状だ。

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