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二千二百年伝わった比婆山の地名   40  -72- [真説 建国史]

 中山王国からの亡命者だった王子のイザナギ命と王女のイザナミ命は、は、同志の白狄人の地固めが出来ると隠岐に渡来し、ヒルゼン高天原に一番乗りしたグループの一員だった。
 二人は若かったので日留山(ヒルゼン)で始めて夫婦の営みをした。しかし初産は残念ながら流産だった。現在の水子でこの時水蛭子(ヒルゴ)と名付けられた。ヒルの様に骨が軟かいことが水蛭子の由来だろう。
 これまでは朝日が一番先に刺し、夕日が最後まで残る山だから日留山と呼ばれていたのが蛭山と書かれることになった。この由緒ある地名が難読の蒜山に変えられたのは大正になってからでこれこそアリバイ工作だ。
 二人目も難産でイザナミ命は目から火の出る苦しみをされ、生れたカグツチ神の首をイザナギ命が斬られた。

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