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全国分布した多賀の地名   41  -73- [真説 建国史]

 イザナギ命は近海の多賀に移ったと書かれた写本と淡路の多賀に移ったと書かれた写本とがあった。日本書紀ではイザナギ命は行方不明になっている。不比等に取っては好ましくない人物を抹殺するのが常道だった。
 写本する人によって写本の内容が異なっていて主観によって勝手にふじわらに都合のよい様に改められていた。わたし達は物のコッピーする時に間違っても、これは漢字なら一字位でむしろ何字か抜けることがある。この常識では考えられない写本上の違いが各所にあった。
 さて日本書紀には現われない多賀の地名が南は九州の鹿(児)島から、北は津軽までにあった。鹿児島市と直方市に多賀神社がある。仙台市の隣りに多賀城があり茨城県に多賀郡がある。この中間の相馬市と隣村に日立木、大甕、石神、鹿島、太田村の他所には少ない五つの村があった。
 多賀郡には日立木が日立となっただけで後の四つは同名の村があった。これこそ同じ民族が命名した証拠で地名をパターンで考えれば民族が分る。常陸には相馬郡もあった。


私からのコメント---地名をパターンで考える。 どういうことかお解りでしたか。地図を毎日、見つめていますと、見えてくるようです。

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