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木の国に避難した葦原色許男   83  -115- [真説 建国史]

大国主神が人事不省になったので、母君の刺国若比売が心配して高天原の神産巣日命に相談に行った。この神が螱貝比売と蛤貝比売を看護に遣わして、きさげを集め母乳と練って塗った所生き還った。  ここに登場した三人の神も極めて特定で、もちろん古事記にしか登場しない神である。この神が西伯郡日野町の根雨神社に祀られている。手間山、日野町、ヒルゼン高天原の間には何の地理的矛盾も見られない。神話でなくて実話としか考えられない証拠である。 このあと大国主神は再び80人の兄弟神に殺されそうになったので母君はこれでは殺されてしまうからと、木の国の大屋毘古の御所にいかせた。木の国とは現在の播磨の三木市のことで、ここは加古川の中流で伯耆街道上で丹波にも分れて行ける要衝である。 ここの御坂社に大国主神の旧名葦原色許男が祭神として見付かった。又播磨風土記には美嚢郡の志深里に三坂社があり葦原色許男が祀られたと書かれ、古事記が偽書でない証拠が現われた。解説の木の国が紀伊は間違いだ。


---私のコメント---
この文章のコメントは難しいです。
「この神が西伯郡日野町の根雨神社に祀られている。手間山、日野町、ヒルゼン高天原の間には何の地理的矛盾も見られない」の意味はお解りですか。

①手間山と日野町は、何所にあるか調べてください。
 伯耆の国の手間山に登ってみませんか?
http://kagura.kaiz.asia/2015/06/09/temayama/
 鳥取県西伯郡南部町天萬

日野町根雨
http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=35.23812153&lon=133.44153291&ac=31402&az=19&z=16&fa=pa&ei=utf8&p=%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E9%87%8E%E7%94%BA%E6%A0%B9%E9%9B%A8

②蒜山高原は、日野町根雨の直ぐ北に在ります。
③手間山は根雨と同じ、西伯郡にあります。 お互いに歩いて行ける距離に位置します。
お分かりですか。 神話ではなくて、歩いて行きますと、この辺りに、大国主神が、うろうろしていたのだ、螱貝比売と蛤貝比売という人も、実際におられたことが実感できます。
手間山も登って下さい。根雨神社も立ち寄ってください。 少し足を延ばして、蒜山高原にも行ってください。 ただし、一泊は必要だと思います。

私は、最後に書いてある三木市の御坂社にも行ってきました。

全部巡りますと、大国主神には、いくつも名前があったことは、抵抗なく受け止めることができます。

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