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スサノオ命が命名した奴国   85  -117- [真説 建国史]

スサノオ命が大国主神とスセリ姫に怒鳴った文句はスサノオ命から二人に「奴国」を国譲りした宣言文である。これが日本の二千年間の運命を支配することになった重要な決定であり、同時に「奴国」の所在を明かにした。 「汝がもてる生大刀、生弓矢を以ちて、汝が庶兄弟をば坂の御尾に追い伏せ、又河の瀬に追ひはらひておれ。 大国主神となり、又宇都志国玉神となりて、わが女スセリ姫を嫡妻となし、宇迦の山本に底津石根に宮柱ふとしり、高天原に氷木高しりておれ。これ奴なり」 高天原ヒルゼンと日野郡の境の海抜1010米もある、しかも三方から平らに見えるので三平山(みひら)と名付けられた山の麓が日野町である。ここにスセリ姫と大国主神二人を祀った板井原神社があった。 スセリ姫を祀った今一つの神社は既に述べた西伯郡高麗村唐王の唐王神社であった。 この唐王神社に二人が夜見国で国土経営をしたと書かれていた。従って板井原神社で国土経営をしたと考えてよいから夜見国は伯耆の日野郡で、根国が西伯郡、合わせて奴国だ。

---私のコメント---
このコーナーは、二つの事が別々に書いてあります。
①スサノオ命は、どうして、大国主神に兄弟をやっつけて大国主神に成りなさいと云ったと思われますか。
やっつける方法が書いてあります。
「「汝がもてる生大刀、生弓矢を以ちて、汝が庶兄弟をば坂の御尾に追い伏せ、又河の瀬に追ひはらいなさい」

②その奴国を、大国主神とスセリ姫は治めることになりましたから、その証拠として、板井原神社と唐王神社に祀られているのですと、古事記の中で、物語を交えてこの辺りの歴史を伝えようとしました。

このような作り話をつくることは どうして、太安万侶は思いついたと思われますか。
稗田阿礼は、この辺りの神社やお寺を訪れて、古老から、いろいろ話を聞いたのだと思います。
多くの話を聞かされた太安万侶から、西伯郡と天皇との関係を結び付けながら古事記を書いたのだと推理します。
さて、「、宇迦の山本に底津石根に宮柱ふとしり、高天原に氷木高しりておれ」
と書いてあります。
 礎石の上に大きな柱がたっていた遺蹟が、大国村倭から発見されれば、スサノオ命が、大声で、「奴国」を建国しろと怒なったのは、本当になります。

「しかも三方から平らに見えるので三平山(みひら)と名付けられた山の麓が日野町である」
この文章は、ずっと、気になっていました。地名は、必ず、理由があって付けられています。 この文章を読んだ時に、私はヒルゼンと日野郡に行って、三平山を眺めて平らに見えるかを確かめようと思いました。しかし、とうとう、行けなくなりました。もう、年です。気力がありません。どなたか、眺めて、平らでしたら、写真に収めて、送ってください。 o-mino@nifty.com 大橋です。 もう一ヶ所は何処でしょう。そこから見ても、平らでしょうか。 これが正しければ、田村氏の研究は、100%正しいと考えて良いと思います。

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がお

おそらく鳥取県江府町の三平山(蒜山との境にある)と思われます。ストリートビューにそこからの眺めもあります。山も、蒜山の眺めも米子方向も、日野郡の谷の3方が拓けている、古代史でイザナギやスサノオが眺めていた景色があります。
by がお (2016-02-05 22:11) 

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