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奴国漢族ゲリラに占領さる   89  -121- [真説 建国史]

後漢書に奴国が57年に大夫を遣わしたと書かれている。この時に「漢委奴国王」の金印が授けられている。金印を授けることは奴国が漢に服属することである。 奴国は伯耆の一部で西伯郡と日野郡で、ここは神武天皇が育った国である。しかし天皇が東征のためにこの地を離れたので、漢族のゲリラがここを占拠した。このゲリラのボスが漢の皇帝に使者を遣わした。漢の皇帝はこのボスに倭国占領目的の奴国王の肩書を与えた。 米子や会見町で漢の銅鏡が出土することが漢族のゲリラが進駐していた何よりの証拠である。 7代孝霊天皇は大吉備津彦命、若建吉備津彦命と日野郡の鬼林山、鬼住山の鬼を征伐した伝承が各地に残っていた。この鬼と派中国人の事で、漢族のゲリラは180年代まで150年間奴国の占領を続けていたことになる。




---私のコメント---
次の所に、田村誠一氏のページに銅鏡の話題が書かれています。
真説建国史のあらまし(10) その7  12page [真説 建国史]

意味お分かりでしたか。銅鏡は中国でつくられたものと日本で作られたものと二通りに分かれます。

 鏡の縁が三角形の三角縁神獣鏡神獣鏡と云うのが有りますね。いずれにしても、中国人の家来が身分証明書のように貰ったものという見方です。100%ではありませんが、古墳から見つかった場合は、だれから貰ったと云うことがある程度分るように思います。
例えば、奈良の黒塚古墳では、33枚の鏡が出土しました。
http://small-life.com/archives/08/03/0714.php

 この被葬者は、次々、部下に渡そうとして持っていたと思われます。

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