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亀甲神社 [日本の歴史]

西伯郡大和村大字中間字海道ノ上鎮座

     祭神 須佐之男命

     由緒 創立年代不詳、神木を以て荒神宮
        と称す、大神山神社の摂社たり、
        明治元年神社改正の際歯医者とな
        りしを、同十二年十一月許可を得
        て再興し亀甲神社と改む。

     例祭日 九月十五日

     建造物 本殿

     境内坪数 十九坪

     崇敬者戸数 二十六戸
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中間神社 [日本の歴史]

西伯郡大和村大字中間自東屋敷鎮座

 祭神 須佐之男命

 由緒 創立年代不詳、古来素戔嗚命は三宝荒神
    と称し綿津見命は龍王権現と称し、事代主
    命は恵比寿神と称して、共に中間の産土神
    たり、明治元年三社を合祀して中間神社と
    改称す、明治八年大神山神社の所轄社とし
    なりしか其後所轄社を止めらる。

 例祭日 十月二十五日

 建造物 本殿、幣殿、拝殿、随神門

 境内坪数 百五十八坪三合

 崇敬者戸数 三十三戸
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津末神社 [日本の歴史]

西浦郡巌村大字浦津字村西清水東鎮座

  祭神 素戔嗚尊

  由緒 創立年月不詳、往古より蚊屋島
     神社の摂社にして荒神宮と称せし
     を、明治元年神社改正の際津末神社
     と改称せらる。

  例祭日 十月二十八日


  建造物 本殿、拝殿

  境内坪数 百二十七坪

  崇敬者戸数 九戸
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佐陀神社 [日本の歴史]

西伯郡大和村大字佐陀字上屋敷鎮座

 
 祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊

 由緒 創立年代明らかならざれども当国
    日野郡楽々福神社旧記に、佐陀大
    明神は人皇七代に当って當国悪鬼
    蜂起し国家動揺す、依て孝霊天皇
    之れを退治のため御幸せられ、國
    中悉く平定、此の時佐陀大明神を
    勧請せられしと、其他由緒不明、
    享保十二年社領一石三斗を附せら
    る。伯耆誌に曰く「祭神伊弉諾尊、
    伊弉冉尊と称するは誤りにて大己
    貴命蛆貝比賈とする旧説あり(田蓑
    日記に見ゆ) 又猿田彦神とする説
    あり爰に略す、当社は古へ大山佛教
    院当村の進太郎左衛門相共に議て、
    出雲の佐陀神社を移し祭ると云へり、
    今社地の傍なる一小民此進氏なり、
    旧は権神主にて古き棟札に其名見へ
    たり箕村進氏と一家なり、太郎座衛
    門が霊社社地に在り、貞享四年馬場
    村内藤氏が社帳に左田村進忠兵衛郡
    中社主に列して印判せり、又杉原盛
    重の次子影盛、兄元盛を討て後此の
    社地の傍に城を構へしが、幾ばくな
    らずして毛利氏に誅せらる」と、昭
    和六年七月村社に列し、同年九月二
    十二日新鮮幣帛料供進神社に指定せ
    らる。

 例祭日  十月十八日
   
 建造物  本殿、幣殿、拝殿、神楽所、随神門
      仮殿

 境内坪数  千七十二坪
  
 氏子戸数  百三十四戸
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吉岡神社 [日本の歴史]

西伯郡巌村大字吉岡字西三軒屋中鎮座

  祭神 誉田別尊

  由緒 当社は旧と蚊屋島神社境内境内
     末社にて八幡宮と称せしを、明
     治元年神社改正の際本社に合祀
     せられしが、明治三年十一月吉
     村の産土神に誓願許可を得て今
     の地に奉斎す。
  
  例祭日 九月十五日

  建造物  本殿

  境内坪数 七坪
 
  崇敬者戸数 四十戸
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浦木神社 [日本の歴史]

西浦郡巌村大字浦津字清水東鎮座

  祭神 素戔嗚尊

  由緒 創立年月不詳、往古より蚊屋島
     神社の摂社にして荒神宮と称せし
     を、明治元年神社改正の際今の社
     号に改めらる。

  例祭日 十月二十八日

  建造物 本殿、拝殿

  境内坪数 八十八坪

  崇敬者戸数 四十五戸
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