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村社 三江神社 [日本の歴史]

東伯郡北谷村大字三江字上野 鎮座

 祭神 国常立尊、倉稲魂神

 由緒 創立年月不詳、
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村社 山郷神社 [日本の歴史]

  東伯郡山守村大字堀字蛇バミ谷鎮座

 祭神 誉田別命 管相丞、大山祇神、須佐之男神

 由緒 創立年月不詳、天和年中新殿建立、因伯国
    守松平伯耆守光綱米五石寄進せらる明治維
    新の際堀神社と改称明治四十年四月二十七
    日神饌幣帛料供進神社に指定せらる、大正
    二年三月二十九日山守村大字明高字宮ノ前
    鎮座村社中原神社(祭神大山祇神) 同村大字
    米富字御崎原鎮座無各社米富神社(祭神大山
    神) 同村大字小泉字屋敷通鎮座無各社小泉
    (祭神大山祇神)同村大字野添字屋敷通り鎮座
    無格社野添神社(祭神大山津見神)を合併す、
    大正八年五月山郷神社と改称す、

 例祭日  四月十五日

 建造物  本殿、拝殿、随伸門

 境内坪数 二千三百五十九坪 

 氏子戸数 二百二十七戸
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村社 矢送神社 [日本の歴史]

東伯郡矢送村大字山口字横路 鎮座

 祭神  天津彦火瓊瓊杵尊、天児屋根命
     天太玉命、素戔嗚尊
 
 由緒  当社は人皇八十九代亀山天皇御宇文応
     元年日向国高千穂?觸の峯より勧請し
     矢送庄九ヶ村の大社として奉祀したる
     ものなりと云ふ伝ふ、元禄三年九月本
     社建立の際松平伯耆守より米三石寄進
     せらる、初め矢?山社杵米大明神と称
     せしが、明治元年山口神社と改称せら
     明治三十五年四月二十七日神饌幣帛料
     共進神社に指定せらる、大正二年五月
     十七日同村字屋舖鎮座無格社田中神社
     (際神素戔嗚尊)を合併す。

 例祭日  十月十七日
 
 建造物  本殿、幣殿、拝殿、神楽殿、随神門
      参籠所、祭具庫
 
 境内坪数 三千参百十坪
 
 氏子戸数 百二十九戸
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大鳥居神社 [日本の歴史]

東伯郡南谷村大字大鳥居字市場鎮座

 祭神 天御中主神
 
 由緒  創立年代其他不詳。
 例祭日 十月十七日
 
 建造物 本殿、幣殿、拝殿、随神門、参籠所
 
 例祭日、十月十七日
 
 建造物 三百四十三坪
 
 崇敬者戸数 九十七戸

 
私の考えたこと。
 こんな短い記事でも、書くのに、30分かかりました。
「県社 波波伎神社] ときは、3時間かかりました。
 原稿に使われている漢字が、現在の漢字ではなくて、
 古い漢字が使われているからです。
 読むこともできませんから、造りが三つあれば、
 カシオの[EXWOD]の辞書で読み方を調べて、その読
 みを入力して調べます。それでも、分からないときは、
 漢字が、全部で、いくつの線で構成されているか調べ
 ます。もし、10本あれば、10本の線で構成されてい
 る漢字をすべて、表示させて、調べます。
  長いこと、コンピューターを利用していますが、
 相変わらず、一本の指で入力しています。

 もう一ツの問題は、目が悪くて、原稿が見えません。
 そのたび、拡大鏡で、覗ぞいて、印字を確認しています。
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村社 新宮山神社 [日本の歴史]

東伯郡西郷村大字下餘戸字屋敷廻鎮座

祭神 天照大神、素戔嗚尊、稲田姫命、倉稲魂命、
由緒 創建年月不詳と雖、旧来祇園牛頭天王と称して崇敬し来れるものなり、明治維新の際新宮山神社と改称せられ、同時に末社の神倉稲魂命を合祭せらる、明治四十年四月二十七日神饌幣帛料共進神社に指定神セン幣帛料共進神社に指定せらる。

例祭日  十月七日
建造物  本殿、拝殿、神楽殿、神輿庫
境内坪数 五百五十坪
氏子戸数 二十三戸

私からの解説
 氏子戸数 二十三戸の人達で、本殿、拝殿、神楽殿、神輿庫のものを建設できたのでしょうか。

新宮山神社---下記の新宮山神社と同じ神社でしょうか。
https://www.google.co.jp/search?source=hp&ei=qmB0XLH5EeeFr7wPt-yNCA&q=%E6%96%B0%E5%AE%AE%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE&btnK=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&oq=%E6%96%B0%E5%AE%AE%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE&gs_l=psy-ab.3..0i30j0i5i30.8380.24497..40502...1.0..0.125.1538.17j1......0....2j1..gws-wiz.....0..0i4j0i131i4j0i131j0j0i4i37j0i10j0i4i30j0i5i4i30j38j0i13i30j0i13i5i30.8sKnValYDak

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考察 その4 [日本の歴史]

村社 日吉神社 
https://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2019-04-16

前回、投稿しました。

① 祭神は
 祭神 大己貴神、国常立神、正哉吾勝神、国狹槌神、
    伊邪那美神、瓊瓊杵神、惶根神、建御名方神、
    大山祇神、道真神、倉稲魂神、不詳一神
  です。 どうして、こんなに多いいのでしょう。

② 氏子戸数 三百五十戸
  外の神社をご覧ください。 祭神は少ないです。信仰の対象である
  祭神がこんなに多いですと、お願いごとをするときには、どの神にお願
  いしていいのか分かりませんン。

③ 境内の広さと、氏子の戸数をご覧ください。
 
  境内坪数 九百六坪
  氏子戸数 三百五十戸
 
  それぞれの祭神をお祀りしていた人たちが、一緒になって、「日吉神社」
  を建造したと思われます。 この資料は、田村誠一氏の書かれた、著
  書の18番目の著書です。

  田村誠一氏の著書
  mino-sigaku.la.coocan.jp/page600.html
 
 ④ 祭神の名前は、よく見る名前です。
    伊邪那美神があるのに、どうして、イザナギ神ははないのでしょう。
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村社 日吉神社 [日本の歴史]

祭神 大己貴神、国常立神、正哉吾勝神、国狹槌神、
    伊邪那美神、瓊瓊杵神、惶根神、建御名方神、
    大山祇神、道真神、倉稲魂神、不詳一神

 由緒 創立年代詳ならざれども、淡海国滋賀郡坂本
    村日吉神社を勧請して亀山日吉山王と称し、
    矢送庄九ヶ村の大社として尊崇したるものに
    して、古来武門武将の崇敬篤く篤く文応元年
    四月地頭大坪左右衛門忠重本願主として本殿
    を建立し、正慶二年酉九月日笠五郎左衛門信
    近本殿建立、天文元年壬辰三月備中松山城主
    景宗公の御家老日賀田新兵衛春吉、宇山飛?
    守成網、河本藤兵衛正宗代官中原伊賀守本願
    本殿造営をはかる、天文三年甲午三月二十一
    日洪水の為め本殿鐘楼を等流せしかば、時の
    神主田淵雄允久秀辛じて御神體を奉遷し仮殿
    に奉安せしが天文二十一年壬子三月矢送城主
    大塚右馬允忠久本殿を建立す、永禄二年己未
    十一月南條元清、南條右京太夫影元の両人本
    殿修造天正七年己卯九月故賀茂朝臣小鴨元清
    本殿建立をはかる、萬治二年己亥十一月太田
    五郎兵衛尉同名甚右衛門尉両人本殿を建立す、
    天明六年久米神社由来書によれば松平相摸守
    領内三百四十八社の内五社の大社に選定せら
    れ、地方の崇敬厚かりしが、明治五年二月日
    吉山王の社号を廃し金谷社と改称せられ、明
    治四十四年七月日吉神社と改称す、大正四年
    十二月二十六日矢送村大字?金字玉子前鎮座
    無挌社湯?神社(祭神建御名方神、大山祇神、
    倉稲魂神) 同村大字郡家字升尊鎮座無各社
    郡家神社(祭神不詳大山神) 仝村大字?金字
    池ノ谷鎮座無挌社山口神社(祭神大山津見神)
    を合併す、大正十三年二月十四日神饌幣帛料
    共進神社に指定せらる。

例祭日  十月七日
 
 建造物  本殿、幣殿、拝殿、随神門、参籠所

 境内坪数 九百六坪

 氏子戸数 三百五十戸 
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村社 神田神社 [日本の歴史]

東伯郡南谷村大字泰久寺字屋敷通 鎮座

 祭神 天照日大御神、天忍穂耳命、日子番能、
    邇々芸命, 日子穂々手見命、鵜葺草葺
    不合命
由緒 創立年代不詳大正十四年十一月二十日
    神饌幣帛料共進神社に指定せらる。
 
 例祭日  十一月三日

 建造物  本殿、幣殿、拝殿、神楽殿

 境内坪数 二百三十七坪

 氏子戸数 六十戸
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村社 松河原神社 [日本の歴史]

東伯郡南谷村大字松河原字小倉山鎮座

 祭神 品陀和気神、管原神
 
 由緒  創立年代不詳、古老の口碑に古昔
     三浦左衛門督景元なる者、当村地内字要害山
     に立籠り居りしが、此三浦景元当社を建立せし
     と言伝ふ、往古は八幡宮天満宮の二社別々に
     して、八幡宮は字宮谷なる宮山谷なる宮山の
     東端高所に在りて天満宮は是所より西に距こ
     と五町、字梅ノ木谷といふ所に在りしを、天文
     元年春、野火延焼して社殿を始め古来の神器棟
     札等藎く灰燼となる、一説に両社共炎上せりと
     もいふ因て仮殿を営み之に移し奉ること百四十
     六年にして、延宝五年公儀より米五石人足百五
     十人御寄付あり、村民之れに力を得て新に社伝
     を字宮谷なる八幡宮の社地に建立し両神を相殿
     に祀りて今に及びしが、大正八年十月字小倉山
     に移転す、大正十二年二月十一日神饌幣帛料供
     進神社に指定せらる。

 境内神社 須美天王神社 祭神 須佐之男神
      稲荷神社  祭神 倉稲魂神
 例祭日  十月十七日
 建造物  本殿、幣殿、拝殿、参籠所兼社務所
 境内坪数 七百五坪二合
 氏子戸数 百十三戸
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黒谷神社 [日本の歴史]

東伯郡南谷村大字安歩字宮ノ上 鎮座

 祭神 不詳一神 大山祇神
 
 由緒 創立年代沿革等詳ならず。
 
 例祭日   十月十七日
 
 建造物   本殿、神楽殿

 境内坪数  百八十八坪

 崇敬者戸数 五十戸 
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