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村社 西阪神社 [日本の歴史]

東伯郡高城村大字大立字宮ノ谷鎮座

 祭神 大山祇命、素戔嗚命

 由緒 創立年代其他不詳、大正十四年八月
    高城村大字上大立字千甫田平鎮座村社
    坂谷神社(祭神大山祇命)を合併す、同年
    九月高城村大字大立字大亀谷鎮座無格社
    田積神社(祭神素戔嗚命)を合併す、昭和
    二年四月十一日神饌幣帛料供進神社に指
    定せらる。

 例祭日 十月十九日
 
 建造物  本殿、神楽所

 境内坪数 百五十四坪

 氏子戸数 五十二戸
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考察 その6 の続き [日本の歴史]

前回、『中蒜山は、古事記に登場する「高天原」』
 と記しました。

このことは、簡単には説明できませんので、田村氏は、
「田村誠一氏の著書」
 http://mino-sigaku.la.coocan.jp/page600.html

此処の、20話~20話までの 三冊に詳しく書いてお
られます。三冊とも、表紙は金色で施されています。

市販はされていないと思いますが、古書店では、買い
求めることは出来るのではと思います。

三冊の「燦然と輝いてた古代」は、全国の図書館に送
付された様に書いてありましたので、借りることは出
来ると思います。

「平成古事記」にも、「燦然と輝いていた古代」のこと
は書いておられます。[燦然と輝いていた古代]の言葉がつけられています。


「燦然と輝いていた古代」を検索語にして、検索しますと、
 蔵書されている図書館名が、表示されます。
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村社 西阪神社 [日本の歴史]

東伯郡高城村大字大立字宮ノ谷鎮座

 祭神 大山祇命、素戔嗚命

 由緒 創立年代其他不詳、大正十四年八月
    高城村大字上大立字千甫田平鎮座村社
    坂谷神社(祭神大山祇命)を合併す、同年
    九月高城村大字大立字大亀谷鎮座無格社
    田積神社(祭神素戔嗚命)を合併す、昭和
    二年四月十一日神饌幣帛料供進神社に指
    定せらる。

 例祭日 十月十九日
 
 建造物  本殿、神楽所

 境内坪数 百五十四坪

 氏子戸数 五十二戸
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考察 その6

前回の考察その5で書きました。

「東伯郡から、大山が見えるかどうかです」。 
見えるどころではありません。
 東伯郡を訪れた時は、ここにある神社は、全て、
訪れようとの意気込みで訪問しました。

訪れた筈ですが、あまり沢山訪れましたので、記憶
が定かでありません。
 少なくとも、写真ぐらいは残っているはずですが、
4代前のコンピューターに残っているますので、確認
していません。
 記憶をたどりますと、神社を巡ったどころか、蒜山に
登りました。
 蒜山は、古事記に登場する「高天原」だからです。

このことは、確かめていませんが、どの歴史書にも書
いてありません。

 これは、田村誠一氏が主張しておられることです。
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村社 風宮神社 [日本の歴史]

東伯郡高城村大字岡字大平鎮座

 祭神 句句廼馳神、瀬織津媛命、志那都比古神
    須佐之男命、稲田媛神、山神、稲荷神
    一神不詳
 
 由緒 高城村内村社立見神社仝椋波神社仝滝波
    神社仝神田神社仝八重森神社以上五社を
    合併し、社号を風邪宮神社と称するの議
    成り新に高城村大字岡なる高燥閑雅の地
    を相して社地と定め茲に仮殿を設けて大
    正九年六月二十八日合併を実行したりし
    が、仝十年五月五日本殿、拝殿を新築し、
    遷座を執行す、例祭日を四月十三日と定
    め神輿渡御をも行ひ地方の参拝者年々多
    きを加ふ、大正十二年十月十七日神饌幣
    帛料供進神社に指定せらる。
 
 例祭日  四月十三日
 
 建造物  本殿、拝殿、参籠所、神輿庫

 境内坪数 百九十九坪
 
 氏子戸数 九十八戸
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村社 桜神社 [日本の歴史]

東伯郡高城村大字桜字宮ノ峯

 祭神 素戔嗚尊、稲荷神

 由緒 勧請年月不詳、旧社号牛頭天王と称し
康平二年己亥年八幡太郎義家社殿建立
    すと伝ふ、延宝六年午三月松平相模守
    光仲社殿造営寄進毎年正五九月八日を
    以て古例により神饌供進し国家安全武
    運長久を祈り祭典執行すと、明治五年
    桜神社と改称し村社に列せららる、稲
    荷神は接社にて同時に合祭せらる。昭
    和五年十二月二十六日神饌幣帛料供進
    神社に指定せらる。
    当社の由緒に源義家は陸奥にあれば其
    の当時延暦寺の高僧成縁当地に来りて
    大日寺を創立し大茄濫を造営したる事
    蹟あり本僧は出雲の出身にして久しく
    叡山に学びたれば、義家が前九年の役
    の苦戦を知り其戦勝を祈る為め郷里に
    縁故ある素神を祈りて、此の神社を創
    建せしものならんかと云ふ。
 
 例祭日 十月八日

 建造物  本殿、幣殿、拝殿、参籠所

 境内坪数 九百十八坪

 氏子戸数 三十二戸
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考察 その5 [思うままに]

今日は 2019/4/22 です。鳥取県に所在する神社を掲載し始めて、随分になります。 
しかし、掲載していない資料は一杯あります。 

全国にある神社の数は、 次の所で見ることが出来ます。
http://jinjajin.jp/modules/contents/index.php?content_id=112


鳥取県は、和歌山県と同じように、神社の少ない県になります。 神社の多い県は、大陸から、
日本に移住して来た人がおられたからと考えていましたが、そうとは限らないようです。

 鳥取県が多いのであれば、隠岐は、鳥取県よりも大陸に近いですから、多いだろうと、隠岐まで
確認に行ってきました。 
 いつの事か忘れてしまいましたが、行く以上は、100%、調べてこようと思い、息子に援助を頼み
ました。息子は、仕事を休んで、協力してもらうこととなり、飛行機を使って、隠岐に行きました。

狭い島ですから、それほど多くはないだろうと、下調べもしないで、行きましたら、少し走っただけで、
神社は見つかりました。ただ、どうしたわけか、神社はすぐに、見つかりましたが、社は、山の上にあり、
はじめは、上っていましたが、体力的に、すぐに、限界になりました。

 神社の数が多いということは、人口も多いはずですが、確認していません。

鳥取県も行きましたが、すっかり忘れています。
既に、見て頂きまし神社の所(東伯郡)から、大山が見えるかどうかです。

山は信仰の対象になっていたのではないかと、考え始めています。
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村社 上市神社 [日本の歴史]

東伯郡高城村大字河来見字宮之谷 鎮座

 祭神  伊弉諾命、伊弉冉命、天照大御神、山神

 由緒  創立年代其他不詳。

 例祭日 十月十九日

 建造物 本殿、参籠所

 境内坪数 二百八十二坪

 氏子戸数 二十五戸
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村社 服部神社 [日本の歴史]

東伯郡高城村大字服部字坂ノ上鎮座

 祭神 大国主神、保食神

 由緒 創立勧請年月不詳、旧桑原大明神と称す、
     明治五年服部神社と改称し、村社に列せ
    られる、大正十一年九月六日神饌幣帛料
    供進神社に 指定せらる。

  例祭日  五月九日
  
  建造物  本殿、拝殿、随神門、参籠所

  境内坪数 九百二十九坪

  氏子戸数 六十五戸
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村社 山長神社 [日本の歴史]

東伯郡北谷村大字森字上垣内 鎮座

祭紳 句句廼馳神、大山祇命、瀬織津媛命、日智理神、素戔嗚命
   菅原道真公、大己貴命、伊弉諾命、句々奴志神、倉稲魂神
   
由緒 北谷村山長の庄十一ヶ村の総産土神にして、 句句廼馳神、
   大山祇命を祭り山長明神と称え、聖武天皇の御代りよれ祀
   り来れりと云ふ、延宝六年九月社殿再興の際御公儀より米
   十石寄進あり、天明六年八月松平相模守殿領分三百四十八
   社の中五社の大社に選定せらる、文久元年三月九日より明
   治維新まで大庄屋引受郡内神札を配布せり当時神領地とし
   て上垣内一町一段、下垣内二町五段を有す、明治の初年ま
   で氏子十一ヶ村より毎年奉幣するの例なりき、明治四十年
   十二月十九日神饌幣帛供進神社に指定せらる、大正五年二
   月北谷村大字中野字宮ノ上鎮座村社中野神社(祭神 瀬織津
   媛命、日智理神、倉稲魂神) 同村大字大河内字屋敷通鎮座
   無挌社大河内神社(祭神素戔嗚命、大山祇命) 同村大杉野字
   前田鎮座村社杉野神社(祭神句々奴志神) 同村大字長谷字一
   本松鎮座村社長谷神社(祭神伊弉諾命) 同村大字忰谷字上
   屋敷通鎮座村社總谷神社(祭神大穴牟遅神) 同村大字沢谷字
   屋敷通鎮座村社總谷神社(祭神大穴牟遅神)同村大字沢谷字
   屋敷通鎮座無格社北野神社(祭神菅原道真公)を合併す。

例祭日 十一月二十日

建造物  本殿、幣殿、拝殿、透塀、神饌所、社務所、随神門
     参籠所

境内坪数 六百三十四坪

氏子戸数 二百十六戸 
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