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考察 その2 [日本の歴史]

考察 その2

 前回の (郷社 東郷神社)の記事ノ内容は、如何でしたか。きっと、全部を読まれた方は居られなかったのではないかと思います。似た様な資料ばかりですので、どの部分を読んでいるのか分からなくなり、苦労しました。 後ほど、初めから読み直しますと、間違い個所発見。 暫くして,見直しますと、また発見、訂正ノ繰り返しでした。記憶したつもりが、地名も、神の名前も忘れますので、
 地図を表示させて、どのあたりかを記憶して、地名と神の名前も記憶しました。

さて、タイトルの考察の件ですが、その一つは、全て、[東伯郡]に所在する神社です。[東伯郡]がどれほどの広さか解りませんが、私が住む市には、式内社は、二社ありますが、ほかには、近くに、一社しかありません。神社の名前を知っているだけで、どのような神社かは知りません。

これまでに読んで頂きました神社は、全て鳥取県に所在する神社です。記事は、省略しないで、記されている通り掲載しました。
 四社に一社ぐらいは、本殿と思われる写真が掲載されていますが、これは、掲載しませんでした。

まだ、掲載していませんが、県社 倭文神社は、東伯郡舎人村に鎮座し、氏子戸数は521戸、境内坪数は、3915坪もあります。倉吉町に鎮座する村社 新宮神社は、氏子戸数は32戸、境内坪数は、84坪です。境内は狭いですが、建造物は本殿、拝殿、神楽殿があります。
 84坪の所に、本殿、拝殿、神楽殿の建物は、無理でしょう。何かの事情があって、境内は処分することになったのでしょうか。

次のようなことを書きますと、鳥取県の皆さんに叱られるかもしれませんが、鳥取県には、次から次へとやって来る人がおられたのでしょう。
 
 地図を表示して、鳥取県を開いてください。
①海岸線が、長い県です。どんどん、内陸部に移動しますと、大山があり、蒜山があります。 蒜山は、ヒルゼンと読みます。高原があります。

②蒜山には、上蒜山1202、中蒜山1123、下蒜山1100 があります。
 中蒜山の頂上に、平と思える土地があります。ここは、日本の発祥の地であったと田村誠一と云われる方が、研究発表をされていました。 確かめるために、歩いて登ってきました。

③現在、見て頂いている神社は、東伯郡です。地図には、東伯町がありますから、多分、この辺りにあると考えています。

④日本の歴史を知るには、神社の次は、地名だと考えています。できれば、地図に見られる地名は、全部読んで、覚えてください。
 
⑤山は、サン、セン、ゼン との呼び方があります。 

⑥蒜山の南に、「塩釜の冷泉」の表示が見えます。 ここの水が、中蒜山の高天原の、宮城建設に使われたとの考えが、田村氏の考えです。
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