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村社 灘郷神社 [日本の歴史]

東伯郡泊村大字泊字後島 鎮座

 祭神 素戔嗚尊、天宇受賈尊、誉田別尊、猿田彦神

 由緒  大正四年五月十六日泊村字荒神前鎮座無格社泊神社
    (祭神素戔嗚尊)久津賀村(現今泊村) 大字石脇字堀
    鎮座無格社石脇神社(祭神天宇受売尊)同村大字小浜
    字北谷鎮座無各社小浜神社(祭神誉田別尊) 同村大
    字筒地字谷奥鎮座無格社筒地谷奥鎮座無格社筒地神
    社(祭神素戔嗚尊)上四神社合併の上、灘郷神社と改
    称し、位置を泊村大字泊字後島に移転の許可を受け
    大正四年五月十六日合併実行、大正四年八月十五日
    三橋村(現今泊村)大字園字西茄子鎮座無格社園神社
    (祭神猿田彦神) 同村大字原字水谷神社(祭神素戔嗚
    尊) 上二神社を合併す、大正九年十一月三十日村社
    に列せらる、大正十年二月十一日神饌幣帛料共進神
    社に指定せらる。

 例祭日  十月二十一日
 
 建造物  本殿、幣殿、拝殿、仮殿、宝庫、神輿庫、
      参籠所二

 境内坪数 四百六十六坪

 氏子戸数 五百六十七戸
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村社 宮本神社 [日本の歴史]

村社 宮本神社

東伯郡浅津村大字上浅津字宮ノ本 鎮座

祭神  佐留田毘古神

由緒   創立沿革等不詳。昭和五年十二月26日神饌幣帛料共進神社に指定せらる。


例祭日  十月十九日

建造物  本殿、神楽殿

境内坪数 二百五十二坪

氏子戸数 百七十八戸

気の付いたこと---- 境内坪数 二百五十二坪 と狭い点です。我が家も狭いですが、二百五十二坪は、氏子戸数 百七十八戸から考えても、狭い様に思います。 もっとも、佐留田毘古神をお祀りするには、畳二枚分の敷地があれば、十分と思います。

 ここに生活の地を定められた昔の人々は、隠岐から来られた方ではないかと推理しています。以前に、隠岐にある神社を全て、訪問しようと思ったことがあります。息子に車の運転を頼んで、回りました。 此の時は、島ですから、自ずと、島を一周することになりましたが、小さな神社?と思える神社が沢山あったように記憶します。

此処の地名は、宮ノ本になっています。 きっと、神社が出来た所を「宮ノ本」と呼ぶようになったのでしょうね。
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