笏賀神社 [日本の歴史]
東伯郡旭村大字笏賀字花倉谷 鎮座
祭神 木花之佐久夜毘賈神、大山祇神
由緒 創立年月不詳、寛政元年九月本殿改築
当社は往古より花倉権現と称し、笏賀
区の崇敬の社たり、維新の際笏賀神社
と改称す 此時境内末社(祭神大山祇神)
を合祀せらる。
例祭日 十月十五日
建造物 本殿、神楽殿
境内坪数 四百七十二坪
崇敬者戸数 十五戸
祭神 木花之佐久夜毘賈神、大山祇神
由緒 創立年月不詳、寛政元年九月本殿改築
当社は往古より花倉権現と称し、笏賀
区の崇敬の社たり、維新の際笏賀神社
と改称す 此時境内末社(祭神大山祇神)
を合祀せらる。
例祭日 十月十五日
建造物 本殿、神楽殿
境内坪数 四百七十二坪
崇敬者戸数 十五戸
村社 三朝神社 [日本の歴史]
東伯郡三朝村大字三朝字森崎 鎮座
祭神 誉田別尊、大己貴命、素戔嗚命、武内宿祢命、大山祇命
由緒 大正十年十二月五日三朝村大字三朝字森崎鎮座村社湯村神社
(祭神 大己貴命) [当社は源義朝の旗下大久保左馬之祐の
崇敬の神にして深き縁故を有す、爾来大久保大明神と称し]
来たりしが維新の際湯村神社と改称す、三朝区の氏神たり]
同神社境内末社無各社外谷神社(祭神素戔嗚命)
[当社は牛頭天王と称し外谷区の氏神たりしが維新の際廃社
となりしも明治十年十二月願済の上復旧し湯村神社境内に遷
し境内末社として崇敬せり]同村大字砂原字宮ノ上鎮座村社
砂原神社(祭神誉田別尊武内宿禰命、大山祇命) [当社は妙見
山正八幡宮と称し、砂原村妙美井山の山頂に鎮座せられしが
寛永二年四月十五日故ありて字宮ノ上に遷し奉れり当社は天
領三反歩の御免地を賜はりしと、文化三年以前は毎年六月十
四より三日河村、久米、八橋の三郡武運長久五穀成就郡内安
全の祈願を奉仕し、祈願御札は郡内全部に配布せり、此時使
用の配札箱には妙見山正八幡宮と記し其下に寺社役所の焼判
を押したる懸板を下されたるを建て配札せりと、其懸板現存
せり、文化四年七月より。河村、久米二郡は尚一層の崇敬厚
かりき、元和六年九月には神田高二石時の寺社役梶田清右衛
門より寄す、証書現存せり] 右三神社を合併し三朝神社と改
称す。
以上三神社は創立年月不詳なりと雖正治元年時の奉仕神主
大坂林竹の調書ありて、其の以前の神社たるや明かなり、大
正十三年十月十七日 神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
例祭日 十月十月十七日
建造物 本殿、幣殿、拝殿、神楽殿、神輿庫
境内坪数 三百十二坪
氏子戸数 百二十五戸
☆ 神饌幣帛料供進神社は、ご存じでしたか。
祭神 誉田別尊、大己貴命、素戔嗚命、武内宿祢命、大山祇命
由緒 大正十年十二月五日三朝村大字三朝字森崎鎮座村社湯村神社
(祭神 大己貴命) [当社は源義朝の旗下大久保左馬之祐の
崇敬の神にして深き縁故を有す、爾来大久保大明神と称し]
来たりしが維新の際湯村神社と改称す、三朝区の氏神たり]
同神社境内末社無各社外谷神社(祭神素戔嗚命)
[当社は牛頭天王と称し外谷区の氏神たりしが維新の際廃社
となりしも明治十年十二月願済の上復旧し湯村神社境内に遷
し境内末社として崇敬せり]同村大字砂原字宮ノ上鎮座村社
砂原神社(祭神誉田別尊武内宿禰命、大山祇命) [当社は妙見
山正八幡宮と称し、砂原村妙美井山の山頂に鎮座せられしが
寛永二年四月十五日故ありて字宮ノ上に遷し奉れり当社は天
領三反歩の御免地を賜はりしと、文化三年以前は毎年六月十
四より三日河村、久米、八橋の三郡武運長久五穀成就郡内安
全の祈願を奉仕し、祈願御札は郡内全部に配布せり、此時使
用の配札箱には妙見山正八幡宮と記し其下に寺社役所の焼判
を押したる懸板を下されたるを建て配札せりと、其懸板現存
せり、文化四年七月より。河村、久米二郡は尚一層の崇敬厚
かりき、元和六年九月には神田高二石時の寺社役梶田清右衛
門より寄す、証書現存せり] 右三神社を合併し三朝神社と改
称す。
以上三神社は創立年月不詳なりと雖正治元年時の奉仕神主
大坂林竹の調書ありて、其の以前の神社たるや明かなり、大
正十三年十月十七日 神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
例祭日 十月十月十七日
建造物 本殿、幣殿、拝殿、神楽殿、神輿庫
境内坪数 三百十二坪
氏子戸数 百二十五戸
☆ 神饌幣帛料供進神社は、ご存じでしたか。