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宇野神社 [日本の歴史]

 東伯郡字野村大字宇野字東屋敷 鎮座

祭神   素戔嗚尊
由緒   創立沿革不詳、元、県社倭文神社摂社なり。

例祭日  十月九日

建造物  本殿

境内坪数 六十九坪

崇敬者戸数 百七十五戸
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県社 倭文神社 [日本の歴史]

東伯郡舎人村大字宮内字宮坂ノ一、御参所合併地鎮座

祭神  建葉槌命、下照姫命、事代主命、健御名方命、
    少彦名命、天稚彦命、味?高彦根命

由緒  創立年月詳ならざれとも、仁明天皇四年従五位
    下に叙せられ、文徳天皇斉衡三年従五位上を授
    けられる、延喜の制小社に列し、朱雀天皇天慶
    三年従三位従五位上を授けられる、延喜の制小
    社に列し、朱雀天皇天慶三年従三位より正三位
    に進む、後本国の一宮と称す、白河天皇承礫四
    年六月御卜に倭文神の崇あるを以て社司に中祓
    を科せらる、後正一位に敍せられしにや現に正
    一位白州一宮大明神と刻せる古き勅額を所蔵す、
    本社の東南に御座所平、又勅使屋敷と称する所
    あり、往古勅使参向の遺跡なりと云う、当社に
    は神宮寺ありて天台に属し、堂塔僧坊等多く龍
    徳寺之れが主管たりしといふ、現に寺山、正来、
    堂山、堂前等の字を存し、寺屋敷、龍徳寺屋敷
    、護摩堂屋敷等の遺跡を存せり、毛利氏の時寺
    領地三千石を給せられしが、羽柴秀吉に没収せ
    られ、此の時各寺院も離散するに至れり、旧記
    に拠るに、往古の社殿は壮麗にして八十余の末
    社をも有し、千石の御朱印地を領したりしと。
    奉祀の神職も又夥しく正神主は国造なりしと云
    ふ、今猶国造屋敷、国造橋、末社屋敷等の名称
  残れり大永年中兵センに罹り社殿焼失、社領も
    没収せられしが天文二十三年尼子晴久殿を造営
    し神領七十石を寄進す、其の後再び神領絶えし
    も、元亀元年六月尼子豊後入道宗勝之れを復旧
    す、天正兵乱の際吉川の諸将馬山に在陣するや、
    社人を逐うて当社に籠居せしが、羽柴秀吉御冠
    山に肉薄せしとき、吉川元長当社の霊夢に感じ
    神威を恐れ弊物を奉りて厚く崇敬せり・・・

    記事長くなりますので、本日はここまでとして、
    残りは次回にいたします。
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