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崇神天皇三兄妹(4) [日本の歴史]

倭国大乱を崇神天皇三兄妹は壮年期に生き抜いて50年経過した。
 この間に漢軍の来襲に備えて吉備には12万戸の屯田兵を配備した。食糧は敵に奪略されないため別の国(邸閣国)に置いてあったことを魏志倭人伝は書いている。これが津山だったのである。この隣が久米国であり、日本軍の本部があった所である。
 瀬戸内海から紀州に至るまで, 海岸に高地性集落を置いた。
 韓国が滅んで魏の国になるや今度は丹波国にスパイの難升米を潜入させた。古事記に、クガミミノ御笠と称する高句麗人である。
 難升米が魏のスパイと分かれば、読者でもその積りで魏志倭人伝を読まれれば、卑弥呼の謎は簡単に氷塊するだろう。
 へたな焼成の説明がない方ががよいかも知れない。蛇足として欠かしていただく。
 漢は水軍で強硬策を取ったので、食糧補給がが続かないで敗れた。
 三国志の時代で戦略家がうようよと居った時代ではないか。



-       -- 50ページより引用 ---




 私からの一言

 「難升米が魏のスパイと分かれば、読者でもその積りで魏志倭人伝を読まれれば、卑弥呼の謎は簡単に氷塊するだろう」と書いてありますが、簡単に分かりましたか。



崇神天皇三兄妹(3)
この173年頃には崇神天皇の義弟日子坐王は20才位で久米国で、韓国軍と戦っていただろう。
 韓国軍は日本で食糧の現地調達が出来なかった時代である。その日暮らしの日本に来て、日本人が奥地に入られては、中国からの食糧が届かないことには、戦争は出来ない。
 従ってゲリラ戦になったのである。戦争が何十年と続いた理由である。最初には漢軍のことだから10万から20万の水軍が一度に来ただろう。
 中国から日本には偏西風を利用できるから、十数日もかからなかったろう。しかしこぐ船では中国には帰れないのである。
 引あげたくても帰れないとなれば、これも長期戦になった理由である。
 倭国大乱が何十年も続いた謎は解けたことになる。
 このあと神風邪が中国から吉備に伝染したのである。補給の船がバイ菌を運搬して来たので韓国駐留軍は全滅する外なかった。
 ガダルカナル戦記古代版である。


       --- 49ページより引用 ---




 私からの一言
 「中国から日本には偏西風を利用できるから、十数日もかからなかったろう。しかしこぐ船では中国には帰れないのである」

このような記事は、誰も書いておられないでしょう。しかし、事実でしょう。 その時の風の強さによれば、一週間で、渡り切ったと、田村氏は、別の記事に書いておられたような記憶があります。

帰ったことは確かでしょう。 では、どのようにして帰ったと思われますか。
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崇神天皇三兄妹(3) [日本の歴史]

この173年頃には崇神天皇の義弟日子坐王は20才位で久米国で、韓国軍と戦っていただろう。
 韓国軍は日本で食糧の現地調達が出来なかった時代である。その日暮らしの日本に来て、日本人が奥地に入られては、中国からの食糧が届かないことには、戦争は出来ない。
 従ってゲリラ戦になったのである。戦争が何十年と続いた理由である。最初には漢軍のことだから10万から20万の水軍が一度に来ただろう。
 中国から日本には偏西風を利用できるから、十数日もかからなかったろう。しかしこぐ船では中国には帰れないのである。
 引あげたくても帰れないとなれば、これも長期戦になった理由である。
 倭国大乱が何十年も続いた謎は解けたことになる。
 このあと神風邪が中国から吉備に伝染したのである。補給の船がバイ菌を運搬して来たので韓国駐留軍は全滅する外なかった。
 ガダルカナル戦記古代版である。


       --- 49ページより引用 ---




 私からの一言
 「中国から日本には偏西風を利用できるから、十数日もかからなかったろう。しかしこぐ船では中国には帰れないのである」
この事実は、単純なことですが、どなたかの歴史書に書かれているでしょうか。 田村氏もどこかで見られたと思うのですが、実際に往復されて、確かめられたのではと推察しています。
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