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崇神天皇三兄妹(7) [日本の歴史]

スパイの難升米は魏の都からの、お土産を卑弥呼用とそれ以外の目的に分けてもらって来た。なぜ分けるべきか。おかしくないか。
 一部は卑弥呼用であり、残りは人民にあまねく展示して魏の皇帝が日本人を如何に、いとおしく考えているかを伝える目的まで書かれている。要するにスパイ工作用ではないか。
 日本人を犬扱いで、チンチンしろ、チンチンしたらあげると見えすいたやり方である。
 日本人の代表として日子坐王が姉の卑弥呼の所に取りにこいではないか。
 おびきよせて二人共毒殺である。三国志の時代である。この時代の最も常識的な戦略が日本で取られなかったら、それこそ不思議であり謎と云うべきだろう。
 中国人式に和人伝を解釈すべきだったのである。日本人のお人よしには魏志倭人伝は手に負えなかった様だ。
 難升米が日本に帰ると、すぐ魏の都から使者が来た。表敬なら、都だけでかえるべきなのに邪馬台国まで来たのは敵状視察である。このために魏のお土産を先づ見せたのである。


-             - 55ページより引用 ---

 私からの一言
著者は、難升米が魏の国より貰って来たお土産は気になったようです。記録に残っていたことが重要なのでしょう。これは、現在の国同士でも、大切なことでしょう。
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