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崇神天皇三兄妹(9) [日本の歴史]

崇神天皇三兄妹(9)
日本の敵状を調査するために、お土産を又沢山持って来て人民をだましたのである。少なく共日本国内を敵の将軍が見回っても、不思議に思わない様では魏志倭人伝を解説は出来ない。
 正始四年(243年)には使者を魏の都に出しこの時率善中郎将を1名増加した。魏国は益々戦争準備を充実させたのである。
恐らく日本海側と瀬戸内海から、まったく離れた所から侵攻するために難升米と邪狗二人に増加した筈だ。
 正始六年(245年)に難升米に軍機が渡された。これこそ戦争開始、宣戦ふ告である。
 これまでは卑弥呼の義弟卑弥弓呼(イコイマス、日子坐王) を口説いて、ワイロで卑弥呼のもとに呼寄せる様工作しただろう。
 しかし日子坐王は誘いに乗らなかった。難升米がこの時もらった軍機は魏の朝鮮駐留軍が日本攻撃に正式に出動命令が出たことである。和人伝の解釈を中国人に聞く位おかしなことはない。
人質にして魏の軍隊が守備をかためた。



             - 57ページより引用 ---




 私からの一言
 「 恐らく日本海側と瀬戸内海から、まったく離れた所から侵攻するために難升米と邪狗二人に増加した筈だ」

恐らくと書いてありますが、日本海側と瀬戸内海の両面からの攻撃は、常識な戦術と思われます。
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