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第9話 中国人が書いた日本書記 田村誠一著 [日本の歴史]

 古代史の怪 (2)
天皇には系図があり古代には代々天皇の御子に引継がれている。従って世継ぎの王子が生まれた時の天皇の年齢は平均10代でも、平均30代でもおかしい。
 21代雄略天皇は456年に即位したとすれば、天皇が生まれた年には自ら年代の許容範囲がある筈である。
 この天皇は允恭天皇の7番目に生まれたと記されている。従って允恭天皇が30才位の時に生まれたと考えられる。
 このような考え方で天皇家の系図を上代にたどって行った時の、崇神天皇の在世の上限と下限が求められる。崇神天皇は系図を否定しない限り、4世紀より上代に亡くなられた。
 イザナミの命すなはちイザナギのの命の妻を祀った所が、古事記に書かれた所、すなはち出雲と伯耆の国境に比婆山が地図に現存している。 (比婆ゴンとは別の位置)
 イザナギの命が行かれた近江の多賀が古事記に書かれた所に現存する。
 高店原から降りる前の地名が、地上に現存してたのが、古代史の怪の二番目である。



             ― 4ページより引用 ---


私からの一言
このページは、何度も読んだのですが、書かれている意味が理解できません。特に、初めの三行が分かりません。

タイトルの「中国人が書いた日本書記」は、正しいのではないかと考えています。

古事記が書かれたのは、712年、日本書記は、720年でした~か。 確かめればいいのですが、確かめていません。もし、間違っておればがっかりするので、720年にしておきます。

おかしいですね。古事記が完成して、10年も経たないうちに、二冊目の日本の歴史書が完成しました。

現在では、古事記は、歴史書ではなくて、日本書記が、正しいような歴史書ととらえられているように思います。
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