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結言 [日本の歴史]

日本はマルコポーロまでが、遠方の人々があこがれる位住みよい国だった。これを伝え聞いた少数民族が、こぞって、一民族単位で期限ゼロ世紀に移住して来たのである。
 祖国のある大民族が一部だけ日本に来ることは考えられない。
 揚子江は国際河川でシルクロードのかなたから、チベットと雲南の省境をも流れていた。
 中劉、下流の住民は上流から降って来る人を阻止出来なかったのである。
 大部分の人達はチベットや雲南から、越に下って、海南島を経て台湾海峡から日本海に対馬海流を利用して皮船で来たことだろう。
 中国の中山王国の人々は白狄人で大半は日本以外には亡命する国はなかったのだ。
 この中国の漢民族等に圧迫された、少数民族が集まったのが日本民族だつた。
 中国はこの民族集団を、日本に何回か基地を築いてまで征服を企てた。しかし全部失敗に終わったのである。
 今こそ建国の由来を認識して、建国当初の苦労した人々に感謝をささげるべきだ。


         ― 63ページより引用 ---



 私からの一言
このページは、最終頁だけあって、タイトルは、「結言」です。
 「日本はマルコポーロまでが、遠方の人々があこがれる位住みよい国だった」

 どうして、遠方の人が、東の端に、住みよい国があることを知ったのでしょうね。

 「これを伝え聞いた少数民族が、こぞって、一民族単位で期限ゼロ世紀に移住して来たのである。
 祖国のある大民族が一部だけ日本に来ることは考えられない」とまとめておられますが、普通は、100年、200年をかけて、日本やって来たのでしょう。そうしませんと、世界で、どこにも使われていない、日本語が、現在も使われている説明にはならないと思います。

 こんなことを言い出すと、おかしいところはいっぱいありますが、「結言」は、
「今こそ建国の由来を認識して、建国当初の苦労した人々に感謝をささげるべきだ」の言葉で、締めくくっておられます。
 これで良いのかも知れません。

ながいこと、ありがとうございました。
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