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崇神天皇三兄妹(10) [日本の歴史]

卑弥呼を人質にして義弟の狗奴国王に降伏をせまったのである。
 こんな卑劣なやり方を日本人が行ったことはない。魏国や三国志の時代の戦略家に取っては日常茶飯事である。
 瀬戸内海沿岸には崇神天皇すなはち兄の軍隊が配備されている。この軍隊を久米国に北上させないために、瀬戸内海に魏の水軍を一部配備するために率善中郎将が2人ひつようだった。
 狗奴国が卑弥呼奪回に出動する場合の両面作戦のために必要だった。
 正使八年(247年) に太守即ち朝鮮総督がわざわざ1500キロ離れた魏の都に、狗奴国との交戦状況を報告に行った。
 如何に重大戦争が起きたか、しかも朝鮮軍だけでは始末にに負えない魏国の水軍が出動しなければならない事態になったのである。
和人伝では狗奴国の男子卑弥呼もとより和せずとある。和せずとは口説きに乗らなかったことである。
 和人伝は魏の作戦をバラシテ呉れたのである。



          ― 58ページより引用 ---




 私からの一言

「 和人伝では狗奴国の男子卑弥呼もとより和せずとある。和せずとは口説きに乗らなかったことである。和人伝は魏の作戦をバラシテ呉れたのである」

 このページは、魏志倭人伝の読み方を教えてくれる 記事でした。
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